歴史
- History -
美ヶ原
Utsukushigahara
7世紀から8世紀
奈良時代
美ヶ原温泉の起源は奈良時代まで遡り、日本最古の歴史書『日本書紀』には当地の湯「束間の温湯(つかまのゆ)」が登場します。都で疫病が流行した際、信濃の国司がこの湯のおかげで難を逃れたとされ、天武天皇が地図を献上させ行幸を計画した逸話が伝わります。以後、この温泉は「名湯」として都にも名が知られました。
7世紀から8世紀
江戸時代
江戸期には松本藩主の御用達の温泉宿「御殿の湯」が設けられ、藩主の入浴・湯治に供されていました。当時、この地には一般向けの山辺茶屋も併設されており、庶民も湯治に訪れていたようで。藩主守護のもとで「寿喜本(すきもと)」と称された湯宿も存在し、その石碑が現在も旅館すぎもとの玄関先に残されています。
1868年 (明治元年)
旅館創業
明治維新に伴い温泉地は公共のものとなり、旅館すぎもとがこの年に創業しました。美ヶ原温泉郷の中でも最古の歴史を持つ老舗旅館であり、以来一貫して家族経営で代々受け継がれ、現在は8代目の当主がその暖簾を守っています。
明治末期~昭和初期
御殿湯跡地開発
明治期に御殿の湯が火災で焼失した後、地元の温泉旅館業者によって「山辺温泉旅館協同営業組合」が組織され、御殿湯跡に山辺ホテルが建設されました。山辺ホテルは近代的な洋風施設でしたが、後に取り壊され、その一部跡地に旅館すぎもとの新館が建てられることになります。
1933年(昭和8年)
松軒楼
1933年に新築された木造三階建ての本館「松軒楼」。梁や欄干を巡らせた和風旅館建築で、昭和初期の温泉街の風情を色濃く残しています。旅館すぎもとはこの年に現在の本館を新築し、地元の宮大工集団が施工を担当しました。新館開業当時の絵葉書には「旧御殿内湯旅館 壽喜本」と記され、松本藩御殿湯の流れを汲む宿として宣伝されました。
1963年(昭和38年)
改修
昭和38年、大規模な改修工事を行いました。。耐震補強や防火対策が施される一方、真壁造りの外観や土壁、梁など本来の趣を大切に保存し、温泉街の景観と調和するよう配慮されています。改修後も館内には民芸調の落ち着いた雰囲気が保たれ、伝統的な木造旅館の趣きを色濃く残しています。
平成初期(80~90年代)
ジャズと酒
この時期から宿の個性に一層磨きがかかります。館内は松本民芸家具を配した民芸調の意匠で統一され、ロビーには真空管アンプの銘機マッキントッシュやスピーカーが据えられ、静かにジャズが流れる大人の空間を演出しています。名物となった館主手打ちの十割蕎麦や馬刺し・山猪鍋などは、まさに酒とともに味わうための創意工夫に満ちています。
この時期から宿の個性に一層磨きがかかります。館内は松本民芸家具を配した民芸調の意匠で統一され、ロビーには真空管アンプの銘機マッキントッシュやスピーカーが据えられ、静かにジャズが流れる大人の空間を演出しています。名物となった館主手打ちの十割蕎麦や馬刺し・山猪鍋などは、まさに酒とともに味わうための創意工夫に満ちています。
平成中期以降(00~10年代)
リニューアル
現在まで定期的に、リニューアルは続けられています。客室以外だと館内にはバー「響」が新設され、ジャズをBGMに地酒や地ワインを楽しめる空間も拡充されました。平成27年9月のリニューアルでは、清風閣3階の「乗鞍」など一部客室に畳敷き+ベッドスタイルを採用しました。
現在まで定期的に、リニューアルは続けられています。客室以外だと館内にはバー「響」が新設され、ジャズをBGMに地酒や地ワインを楽しめる空間も拡充されました。平成27年9月のリニューアルでは、清風閣3階の「乗鞍」など一部客室に畳敷き+ベッドスタイルを採用しました。
2024年(令和6年)
文化財登録
令和6年3月6日付で旅館すぎもと本館「松軒楼」が国の登録有形文化財に登録されました。昭和初期の木造温泉旅館建築の特徴をよく残す希少な建造物として正式に認められたものです。現在も旅館すぎもとは信州松本の奥座敷として愛されており、130年以上に及ぶ歴史とともに、温泉・料理・文化を融合させた唯一無二の宿として進化を続けています。